エキスパート・オピニオン(専門家の意見)は,字面だけ見るとあたかも信頼性が高い情報源のように見えます。しかし実際には,その正確性・客観性が必ずしも担保されません。
この記事では実際に,その限界と有用な場面についてまとめてみたいと思います。
本稿の要旨は以下の通りです(▼)。
- 客観的なデータが付随しない場合
- ポジショントークをしているだけの場合
- そもそも〈真の専門家〉ではない場合
- 先行データがない領域はプロの経験が生きる
- 正解が複数ありうるときもプロの意見が役立つ
- ホンモノの専門家による〈レビュー論文〉は,初学者の学習に大変有用
まずは前半で「信頼できないケース」について述べ,後半では「有用なケース」について述べます。
エキスパートオピニオンが信用できない場面
専門家の意見が信頼しがたい場面としては,以下の3つが考えられます。
- 客観的データが不足しているとき
- スポンサーからバイアスを受けているとき
- そもそもエキスパートとは言えない人物であるとき
順に見ていきましょう。
①:客観的データを伴わない意見
まず1つ目は,客観的データが不足しているときです。
「●●大学の△△先生によると……」
──こうした文言は,色々な広告や,宣伝,テレビ番組で見かけます。しかし,もしそこで具体的な数字を出したデータが出てこなかった場合には,気を付けなければなりません。
客観的なデータとは何か
「客観的なデータがある」のであれば,本来は以下のように切り出すべきです。
●●大学が中心になって,XX万人を調査した観察研究の結果によると…
30歳台の成人男性 XX人に対して,
Aを行った場合とBを行った場合の結果を比較検討した試験があります。その結果では…
こうしたデータが出てこないということは,「出せるようなデータがない」のでは?と思われても仕方がありません。
本当に「その道を代表する専門家」であれば,自説の根拠となるデータには相当なこだわりがあるはずです。そうしたエビデンスはいくらでも提示できるはずですし,そのデータで言えることの限界についても言及できるはずです。
論拠なき意見に信頼性はない
TVメディアなどに出演した「専門家」の先生がそうした論拠を提示しない場合,
- 示せるような客観的データが乏しいか
- データは示せるが,何か事情があって ✂︎カット✂︎ されたか
といった理由が考えられます。
いずにれせよ,バイアスを大きく含んだ情報であることには違いありません。その時点で 鵜呑みすべき情報でない ということは明白です。
ファクトとオピニオン
例えばいかにもなテレビ番組特集で,XX 大学の先生が
緑黄色野菜にに含まれるβカロテンは体に良いですよ。血液をサラサラにするというデータがあります。ですから,βカロテンサプリを摂れば,発癌率も下がる可能性があります。
(※なんの根拠もない言説なのでここではあくまで一例として捉えてください)
と言っている状況を想定してみましょう。さらっと聞き流してしまうと気づけませんが,実はここには大きな問題が2つあります。
1つは,提示している「データ」がどのようなものなのか詳細不明であることです。そしてもう1つは,ファクトとオピニオンがごちゃ混ぜになっていることです。
しれっと飛躍する論理
そもそも「緑黄色野菜を多く摂ること」と「βカロテンをサプリで摂ること」は栄養学的にも全く同一ではありません。
仮に本当に「緑黄色野菜を摂れば寿命が伸びる」という確固たるデータがあったとしても,「βカロテンをサプリで摂れば寿命が伸びる」ということは言えないはずで,論理が飛躍しています。
緑黄色野菜は体にいい。たくさん摂っている人は動脈硬化が進みにくいという観察研究データがある。また癌の発症割合が低いという観察研究データもある。
までは事実〈ファクト〉だとしても,
βカロテンサプリを摂れば発癌率も減るかもしれない
という部分に関しては間接的知見に基づいた個人的意見〈オピニオン〉に過ぎません。あたかも証明された事実であるかのように述べることは問題があります。
本当に「βカロテンサプリ内服」が「発癌リスク低下」に効くかどうかを述べるには,別途信頼性の高い検証的データが必要であるはずです。そうした客観的データが提示されていない以上,この発言の信頼性が高いものとは言えず,鵜呑みにはできません。
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経験はウソをつく
しかし,そうは言っても「専門家」です。
たとえその場でパッと提示できる「データ」がないのだとしても,寿命が伸びるだの癌の発生率が減るだのと のたまうからには,その背景にはたくさんの〈経験〉があるかもしれません。
たとえばその専門家は,
試験管実験レベルではβカロテンが発癌抑制に作用しそうという論文があった
緑黄色野菜を沢山摂らせた実験室のマウスは,癌になりにくかった
といったエピソードを基にして「β-カロテンが癌予防に効く」発言をしたのかもしれません。
実際「専門家」の発言にはそうした豊富な〈経験〉や〈背景知識〉の裏付けが期待されるからこそ,その辺の酒場のおじさんの発言より信憑性が高いものとして扱われるわけです。
しかしいずれにせよ,きちんと検証されたものでないのであれば,その様な専門家の〈経験〉が,「偶然のもの」に過ぎなかった可能性は否定できません
上手くいったケースだけが印象に残ってしまっている,という〈思い出しバイアス〉の影響もあり得ます。「経験はウソをつく」のです。
その意見は「客観的」か?
そもそも意見というものは,定義上どうしても主観のバイアスを含むものです。
しかし「科学的である」ためには「客観的で再現性が高い」ことが求められます。そこには権威も経験もなんら影響を与えません。
といった考え方が重要です。
コラム:β-カロテンの発癌性
ミケ
クロ
シロ
クロ
②:ポジショントークのとき
エキスパートオピニオンが信頼できない第二の理由は,そのエキスパートが「何のためにその発言をしているのか?」ということを考えると,ごく自然に浮かんでくる疑念です。
平たく言えば
ということです。
蔓延る ポジショントークおじさん
たとえばあるサプリメントや薬剤の有効性を TV で宣伝すれば,その製薬会社の売り上げが高くなることが見込まれます。
そのマーケティングに「専門家」は非常に相性がよいのです。
なぜなら,専門家はその肩書を用いて自らの発言に〈権威付け〉ができるからです。〈権威付け〉は人の意思決定に対して非常に大きな影響を与えるということは,心理学の世界でもよく知られています。
特定の「専門家」が何かしら発信をしている時には,
と考えることが重要です。本当にフェアな発信なのかどうか,別の情報源も確認することが無難です。
影響力の武器|なぜ人は動かされるのか
私たちが日頃意識することなく自動的に承諾「させられてしまう」6つの条件 ──〈返報性〉〈コミットメントと一貫性〉〈社会的証明〉〈好意〉〈権威〉〈希少性〉── これらがいかに頻繁にセールスで用いられているか,そしてそこからどう身を守ればいいのかについて詳説した超ド級ベストセラーです。
全セールスマンと,全消費者,つまり全人類必読の名著。
自分が最初に聴いたオーディオブックはこれでした。感慨深い。
利益相反 COI
なお,こうした利害関係の構図を一言で表した専門用語が〈利益相反 COI〉です。
利益相反(conflict of interest:COI)とは
外部との経済的な利益関係等によって,
公的研究で必要とされる「公正かつ適正な判断」が損なわれる,
又は損なわれるのではないかと第三者から懸念が表明されかねない事態
のことです。
原則的に学会発表や研究論文などでは COI の開示が義務付けられていますが,テレビ番組などの媒体でいちいち COI を開示する「専門家」はいません。
明確に「開示すべきCOIはありません」と述べられていない以上,「COI はあるだろうから眉唾だろうな」という心持ちで情報を受け取るくらいの心構えが無難です。
要するに やたらと何かを絶賛する専門家がいた場合,資金源バイアスを受けている可能性を考慮すべき,ということです。
むしろ COI が全くないプロの専門家はほとんどいません。重要なのは,その専門家本人も,聴衆も,そうした資金源からのバイアスを「知らず知らずのうちに受けているかもしれない」と自覚的になることです。その上で,一歩引いた視点で「情報そのものの信憑性・妥当性」を批判的に吟味することが重要です。
メディア側の報道バイアスも?
一方,仮にその「専門家」自身が公正であったとしても,発信媒体,つまりそのメディアの方がきちんと公正に報道していない場合もあり得ます。
テレビ番組にも新聞にも,必ずスポンサーがいます。
メディアはその経営構造上,どうしてもバックのスポンサーにとって不都合なことが報道できません。逆に,バックのスポンサーにとって好都合なことばかりを積極的に報道している可能性があります。いわゆる 「報道バイアス」ですね。
そう考えると,テレビ番組に招待されて発言しているその「専門家」は,本当に公正な意見を発信することができているでしょうか?
仮にそのエキスパートが妥当なことを言っていても,メディアの編集者が「切り貼り」をすることで,スポンサーにとって都合の悪い情報は ✂︎ カット ✂︎ されているかもしれません。
極端な例を言えば,「脳卒中を減らす!」という特集番組で,招待された専門家が
脳卒中予防には食生活や運動習慣も重要ですけど,そんなことより禁煙してください。それだけで劇的なリスク低減効果が見込めます。さらに,喫煙者は肺癌などの発症率も高めるため,そうした健康被害に対する最終的な医療費の支出を考えると,全面的に禁煙を進めた方が国の経済的にも好影響だと思います。
と言ったとします。
しかしその番組のスポンサーがタバコ関連商品を扱う業者だったら,きっと その番組で報道される内容は
脳卒中予防には食生活や運動習慣も重要です
までで終わってしまうかもしれません。
「そんなことより禁煙して下さい」以降は全て ✂︎ カット ✂︎ されてしまうことでしょう(※偏見です)。これも一種の報道バイアスと言えます。
ポジショントークなのかどうかを判断する1つの基準として,
確認してみると良いかもしれません。
ビジネス書も〈エキスパートオピニオン〉
なお,少し話は変わりますが,突き詰めればビジネス書なども全て〈エキスパートオピニオン〉の類であると言えます。
有用な情報が眠っていることが多いのも事実ですが,個人的な体験談や,数人程度の成功パターンを紹介している様な書籍も多く見受けられます。
著者がどういう人物なのか,論拠としてどの程度のデータを引用しているか,などを見ながらそうした文章と向き合うことが望ましいと考えられます。
③ そもそも〈真の専門家〉じゃない可能性
エキスパートオピニオンが信用できない場面として,最後は,元も子もないことですが……
いや,この人,その領域は別にそんな専門ではないですよね…?
というときです。
何となく権威付けできそうな「どこどこ大学の教授」などを引っ張ってきて,それっぽい意見を言ってもらうのは,マスメディアの常套手段です。
実は見抜くのが難しい「エセ専門家」
ここで結構深刻な問題なのが,
その “専門家” は,本当に “専門家” なのか?
その分野で功績を収めている第一線の “専門家” なのか?
という問いに対してすぐ答えることができるのは,その領域で実際に仕事をしている人 ── つまり〈プロ〉── だけである,ということです。
逆に門外漢にとっては,その「専門家」が「リアルガチの専門家」なのか「テレビ番組の雇われ専門家」なのか,直ちに判断できません。
一口に「専門家」と言っても,該当分野の第一線でバリバリ活動している人物もいれば,テレビ番組や新聞記事でしか見かけないような人物もいる,というのはよく知られた事実です。
そして言うまでもなく,後者の発言内容には注意が必要です。先述した〈ポジション・トーク〉が行われているかもしれません。
ホンモノはあまり TV に出てこない?
ここから先は筆者の偏見でしかありませんのでそのつもりで読んでいただきたいのですが,そもそも “ホンモノ” で “公正”な「専門家」や科学者は
自分の発言を不適切に切り貼りされたくない
という人が多いのではないのでしょうか。その点で基本的にテレビ等とは反りが合わない人が多いのではないか?と思います(もちろん番組や局によって一概には言えません)。
そもそも “ホンモノ” は
そんなに暇じゃないのでは?
という話もあります。少なくとも「しょっちゅうテレビで見かける」なんてことはないハズです。
さらに言えば,今時そうした「第一線のホンモノの専門家」は自分のネームバリューを使って SNS でも個人ブログでもネットニュースへの寄稿でも,意見をそのまま発信できるはずです。それらであれば,不適切な切り貼りの被害を被るリスクも低いことでしょう。
では専門家個人がそのような情報発信をすることができる現代において,わざわざテレビに出演する理由は何なのでしょうか?
一つには「インターネットをみない限られた高齢層」にどうしても訴求したい何かがある場合,と言えます。しかしその他には,もしかしたら金銭的メリットがあるだけかもしれません。
とにかく,「本当にエキスパート?」というのは意外と大きな落とし穴であるということです。
コラム:もはや何も信頼できない?
シロ
クロ
ミケ
クロ
シロ
エキスパートオピニオンが有用な場面
さて,ここまで悪い側面ばかりに着目してしまいましたが,実際エキスパートオピニオンが有用な場面は多くあります。
たとえば「そもそもマトモなデータがない時」などはその代表です。そうした場面では,エキスパートの豊富な〈経験〉に頼るしかありません。
以下では実際に,エキスパートオピニオンが有用な場面について見ていきましょう。
- 先行データが乏しいとき
- 正解が複数あるとき
- 今あるデータをうまく〈総説〉してくれるとき
有用①:先行データが乏しいとき
先行データが乏しい時というのは,当然,質の高いエビデンスなど存在しません。
誰も大規模な研究を行ったことがないので,要するに
本当に(母集団でも) “効果” がある介入なのか?
という答え合わせがほとんどできていない状態です。結局 それぞれの現場でプロたちが試行錯誤をしながら経験を積んでいくしかない段階,と言えます。
データがないなら試行錯誤するしかない
その試行錯誤の中で,「うまく行った!」「うまく行かなかった!」という多数の〈経験則〉を基に,専門家は自分たちの中で「一定の成功パターン」を作り上げていくことになります。
この時点では,その〈成功パターン〉にどの程度の一般化可能性があるかは分かりません。これは,あくまでも〈仮説生成〉あるいは〈意見〉の段階です。
しかしその後,その〈仮説〉が本当に正しい,あるいは「一般化可能性が高い」という検証ができれば,エビデンスとしての価値はどんどん上がっていきます。
もちろん逆パターンもあります。現場の肌感覚では「効果」のありそうだったものが,きちんと〈検証〉してみると「偽薬の投与」となんら変わらなかった,といったことはよくあります。
そうした〈仮説の検証〉のために,よりバイアスリスクが低い手法で検討する ── その手段の1つが ランダム化比較試験 RCT なのでした。
この記事では,医薬品に関するリテラシーとして必須知識である 「仮説検証」と「仮説探索/提唱」の違い について解説します。 「統計的に有意」は等価ではない 医学研究には多くの種類がありますが,ほとんどの研究で最終的に〈統計的に有意[…]
エビデンス・ピラミッドの本当の意味
つまり〈ランダム化比較試験〉の前には必ず〈専門家の経験〉があるわけで,この2つは本来対立する構造ではありません。
そして
という順番に進んでいく,ということです。エビデンスは単に階層的なものではなく,下から順番に一生懸命積み上げていくものなのです(▼)。
- 動物実験・試験管内実験
- 専門家の意見(Expert Opinion)
┗ XX 教授もオススメ!(④以上の根拠に乏しい場合) - 記述研究(症例報告・症例シリーズ報告)
┗ 現場の経験談;Aを使ったらうまくいきました - 観察研究(コホート研究・症例対照研究)
┗ A 使ってた人とB 使ってた人では A の方がアウトカムがよい - 介入研究(ランダム化比較試験など)
┗ Aを使わせる vs Bを使わせる でアウトカム比較 - 検証的試験(適切なデザインのランダム化比較試験)
┗ power analysis,多重盲検,事前プロトコル提出 - 複数の検証的試験のシステマティックレビュー&メタ解析
エビデンスが積み上げられる前段階の領域では,現時点での最高レベルのエビデンスが「専門家の経験談(上記②③)」しかない,というのも大いにありうる状況です。
医学分野ではしばしば重視される
その様に「先行データが十分に集まっていない」状況における〈エキスパート・オピニオン〉は,医学界でも大きな影響力があります。
医学分野では,ランダム化比較試験での検証が盛んとなっているとは言え,まだまだ十分検証されていない〈仮説〉はたくさんあります。
言うなれば医学界におけるランダム化比較試験は,〈現場の医師たちの成功体験を公式化する試み〉なわけですが,特にまれな疾患や症状への対応,治療法の細かい調整などについては,全く検証が追いついていない状態です。
手探りな時こそ専門家に頼りたい
結局,〈症例報告〉や〈症例シリーズ報告〉レベルのエビデンスしかない時,医師たちは今ある先例を参考にしつつ手探りで臨床を行うしかありません。
その時,その分野で第一線を走って多くの経験を積んだ医師の〈エキスパートオピニオン〉は,後輩医師にとって非常に頼りになる道標となります。
たとえ少ない症例数であったとしても
- 「治療やサポートはどんなことを心がけたか」
- 「実際生活指導は何に気を付けたらいいか」
- 「予後を踏まえた注意点」
- 「良質な前向きエビデンスはないけど,△△の理由で,”こうしている”といった対応」
などについて示してもらえると,臨床家としては非常に安心するものです。豊富な経験から適切なアドバイスをもらえるのであれば,それほどありがたい〈エキスパートオピニオン〉はありません。
有用② 正解が複数あるとき
他にもエキスパートオピニオンが頼りになる状況はあり得ます。
それは「正解」となりうる選択肢が複数あり,その中でどれを選択するか迷ってしまう様な場面です。
第1選択治療の選択肢が複数ある時
医学の世界では「ファーストラインの治療」の選択肢が複数あるといった状況はしばしば経験されます。
たとえば,
という様なシチュエーションです。
この時〈治療 α〉と〈治療 β〉はいずれもある意味では「正解」となりえますが,目の前のただ1人の患者さんにとって本当の意味でどちらが better なのか,臨床医は頭を悩ませることになります。
そんな時,
そういう状態なら,僕は 治療 β の方を選択する様にしているよ。なぜなら●●ということが言われているからね(=少数例報告や後ろ向き観察研究などを提示)。前向きの十分なエビデンスではないけど,実際そういうチョイスで暫くやってきて,割とうまく行っている印象があるよ。
── などと〈疾患 X〉の診療経験が 1000 回くらいある医師が言っていたら,やはり一定の説得力を持つものです。
もちろん,この様な言説はあくまで〈経験則〉であり,良質なエビデンスとは言えません。いろいろなバイアスを孕んでいるリスクがあります。
しかし実際に〈治療 α〉と〈治療 β〉を直接比較した RCT が存在しないのであれば,その先はどう考えてもクリアカットな答えが存在しない領域です。また仮にRCT が行われていたとしても,その RCT に含まれている様な対象者と目の前の患者さんが全く違う背景因子を持っていたら,そのデータを直接適用することも困難です。
臨床現場は,確立されたエビデンスのあることばかりではありません。その様に 答えのない世界で途方に暮れるとき,〈エキスパート・オピニオン〉は1つの光明となるのです。
有用③ 今あるデータを上手く〈総説〉してくれるとき
〈専門家の意見〉が有用な場面の3つ目,最後です。
それは,専門家が「うまくデータをまとめて教えてくれる時」です。
この情報過多の時代において,その分野における専門家が「現在わかっていること」を小綺麗にまとめて伝えてくれたら……やっぱりそれはすごくタメになります。
そうした記事は,初学者が情報を整理するために非常に役立ちます。無数にある情報源の中から,ある程度プロの目で「ふるいわけ」してくれているからです。言うなればその分野におけるプロのキュレーターになってくれるというわけです。
わかりやすいレビュー論文を書いてくれる
エキスパートが〈その人独自の基準〉で複数の研究結果を集め,そこから自分の意見を述べる,と言った記述研究のことを〈ナラティブレビュー Narrative review〉と呼びます。
最近結果が報告された最新の RCT や大規模なコホート研究など,良質のエビデンスを掻い摘んで紹介しながら,
こういうデータが集まってきたから,今ならこういうことが言えるかも知れないね
次はこういう研究が期待されるね
などと示してくれるのが〈ナラティブレビュー〉です。要するに学術界における「まとめ記事」ですね。
レビュー論文の有用性
こうした記事は,特に初学者にとって非常に勉強になるものですし,その業界人にとっても知識のおさらいとして有用です。
本文中にあるエビデンスの紹介部分を見るだけでも重要な知識がアップデートされますし,それらのエビデンスを踏まえて「第一線の専門家はどう考えているか」という〈エキスパート・オピニオン〉の部分も大変参考になります。
基本的に一流紙に載せられる様な〈レビュー記事〉というものは,業界から真に認められた専門家や専門委員会が全身全霊をかけてまとめたものであることが多いです。
“ホンモノ” のエキスパートが,先行するエビデンスと組み合わせながら自らの経験に則って〈意見〉を言うとき,その〈エキスパートオピニオン〉は,やはり大変示唆に富んだものになっていることが多いと感じます。
ということですね。
まとめ
時には権威効果に任せて大きくバイアスされた情報提供をしてしまいかねないのが〈エキスパート・オピニオン〉の怖いところです。
しかしそうは言っても「あらゆるエビデンスを対等に網羅した上で,適切なアドバイスをしてくれる理想的なエキスパート」がいるのであれば,その人の意見に大きな価値があることは言うまでもありません。
要するに「真摯なプロ」を見つけることが大事,ということかもしれません。
エキスパート・オピニオン,鵜呑みにし過ぎず,適切な距離感で付き合っていけるようになりたいものです。
- エキスパートオピニオンは,エビデンスとしては最弱。
- あくまで〈経験〉に基づいた〈未検証仮説〉の段階で,再現性は不明。
- ポジショントークをしているだけかもしれない。
- そもそも〈真の専門家〉ではないかもしれない。
- データのない領域については参考になる。
- 全てのエビデンスの始まりは〈専門家の経験則〉である。
- ホンモノの専門家による〈レビュー論文〉は,初学者の学習に大変有用。